2014年 05月 11日
「 5月5日 」とカブトムシ |
毎年のように、ゴールデンウィークはせせこましく過ぎてしまいました。
特に、今年においては「ゴールデン」な感覚はほとんど感じられませんでした。
今年の「その日」はもう過ぎてしまいましたが、
ぼくにとって、毎年「 5月5日 」は感慨深い日なんです。
「こどもの日」であり、「父の命日」でもあるんです。
ぼくが10歳の時、父は42歳で他界しました。
10年間という年月の中で、父は強烈な思い出を残してくれました。
5月5日になると、いつも思い出す情景があります。
「ハイライト」の煙を吐き出す父。
とっくりとおちょこを手にして、野球中継を観ていた父。
寝る前に色々な絵本を読んでくれた父。
空手の正拳付きを、全く興味のないぼくに熱心に教えてくれた父。
水風呂が好きな父。これがたまらんのだよ、と熱弁していた父。
「こち亀」を一緒に読んで笑ってくれた父。
未確認飛行物体や未確認生物などに興奮していた父。
自然の中で遊び、自然から学ぶことを教えてくれた父。
夜遅くまで自転車の乗り方を教えてくれた父。
色々な人を家へお招きして、料理を振る舞う父。
父のことを思い出すと、
いつも時が止まったような感覚になります。
今でも、忘れられないエピソードがふたつあります。
父は日本酒が好きな人でした。
仕事が忙しく、休みの日は極々限られていました。
ですので、休みの日になると、真っ昼間から嬉しそうにお酒を飲むのでした。
ある時、父がぼくに向かって、
台所からお酒を持ってきてくれないか、と言いました。
非常にお酒が強い人でしたが、ぼくは小さいながらも父の体を心配していました。
ぼくは、仕方ないなあと思いつつ、台所へ行き日本酒のビンを取り出しました。
そして、日本酒にお水を混ぜて薄めてから、父のもとへ持っていきました。
父は、ありがとう、と言ってそれをグイッと飲み干しました。
そのあと、ブーッと吹き出しました。
何だこりゃ、と不思議な顔をしている父へ向かってワケを話すと、
何だか嬉しそうに大笑いしてくれました。
もうひとつは、家の外で父と二人、キャッチボールをしていた時の事です。
「 快晴 」という言葉にふさわしい、素晴らしい空の下、
私たちはボールを投げては受け、受けては投げていたのでした。
そんな中、父は明らかに見当違いなところへボールを投げたんです。
不思議におもいつつ、ぼくがボールを取りにいきましたら、
そこには、ぼくの大好きなカブトムシがいました。
ぼくはボールを拾い、
「 おとうさん!カブトムシ! 」と言いました。
父は、
「 おお!よかったなあ! 」と笑顔でぼくを見ているのでした。
後になってよく見てみると、
そのカブトムシの背中には注射のあとがありました。
養殖のカブトムシには、
虫がつかないように注射がされている事をぼくは知っていました。
また、父がボールを投げた所は、
到底、カブトムシがいるとは思えないような場所でした。
今となっては真実を聞くことすら叶いませんが、
そのカブトムシは父がプレゼントしてくれたものだと、
勝手に信じています。
ぼくは毎年5月5日になると、
一人の父親として、一人の男としての生き方にこだわり続けた父に、
改めて向き合うことになります。
亡くなる数日前、
病院のベッドで父がぼくに伝えてくれたことがあります。
手術の繰り返しにより、すっかりやせ細った手で、しかしぼくの手を強く握り、
「お母さんのこと、頼んだぞ。女の人には優しくするんだぞ。いつも弱ってる人の味方になるんだぞ。」
と言いました。
ぼくは、父の手を強く握り返して、
「 うん。わかった。 」と答えました。
ぼくは、そのことだけは守り続けて生きているつもりです。
まだ、母への孝行は出来ておりませんが…。
父との約束を守るため、
ぼくは映画を撮り続けて母を感動させていく決心があります。
父の生き様を、
一人の人間の生涯として見つめてみると、
人のために生きることは、
自分のために生きることでもあると
教えてくれたような、そんな気がします。
いつも、誰かのために生きていた。
ぼくの父は、そんな男でした。
by mori-yumefusa
| 2014-05-11 01:43
| エッセイ